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BROKEN DOLL

最終更新: 2019年11月8日


「だからキチガイだよね」

「30歳まで普通にすごい真面目な社会人だったんだよね」

「バンドもブランドもインディーズを貫きたかったから」

「このまま波に飲まれるのは嫌だと思って、もうそれを捨てたんすよ」

「サブカルチャーだね、いい思いしたことないから」


BROKEN DOLL店主 Kensuke氏


2019年3月13日 インタビュー

ライター:Kazuho


下北沢ってすごくサブカルっぽい。あと、インディーズバンドも。あと、ビレバンも。メンヘラなんかもサブカルっぽい。そう思ってる人は間違いなくぬるい。今回私が訪ねた店主に一度斬られてくることをお勧めさせて頂きたい。


こんなことを言うと誤解を招きかねないので、あらかじめ言っておくが、店主の方は決して面倒なタイプの人ではない。何かとぺえぺえな私なんかにもとても親切に接してくれるし、物腰も低くお客さんとも普通に小一時間話し込んだりする。


僕の印象としては、最高に気さくで本当に話が面白い店主。ただ割と物言い。あと個性的なファッションに、見かけから想像できない年齢。そのギャップが面白くて有吉反省会にも出演したことがあるという。


そんな店主のお写真がこちら。



これは、私が勝手に拝借した店主のラインのプロフィール写真である。名前の欄は「Kensuke Broken Doll」。Kensuke氏が今回取材をさせていただいた店主で、お店の名前がBroken Dollである。なんとも退廃的な響きの当ショップは下北沢にある。



今現在、下北沢駅の東口から出ると工事の騒音がまず耳に入るのだが、そのうちそこはバスロータリーになるそうだ。オリンピックに向け便利でハイソな街に改造しようとしている中、下北臭さが染み付いた商業施設がすぐ目の前にある。それがマルシェ下北沢。




Broken Dollはそこの2階にこじんまりと佇んでいる。小さいお店ながらも、そのインパクトはでかい。



パッと見で私には分かる、好きな人には堪らないヤツだ。



このサイズ感なら、目が合えば話しかけられるのは不可避なのだから、気になったらチラ見なんかせず一点一点のアイテムをガン見してほしい。どれも本当に凝っているし、嬉々としてKensuke氏もアイテムの説明をしてくれるだろう。



渋谷、原宿、下北沢を歩けば、一定数の派手派手しいファッションで闊歩している人をお見受けする。ゴスロリとかデコラとか呼ばれるファッションのことなのだが、ここは素人の私から見て、これらはどのカテゴリーに属するのか分からなかった。



それもそのはず、Kensuke氏曰く、「ブランド作った時に、自分が作るカテゴリーはブランドの名前を抜粋されたらいいなって気持ちで作ってた」そうだ。つまりはBroken Dollというカテゴリーらしい。それでは早速Broken Dollスタイルのマストアイテムを何点か紹介していこう。



まずは、このBroken Dollの代表作とも言えるガスマスク。こちらのガスマスク、オシャレ?なだけではなく、実用性も兼ねているらしい。防塵に加え、発光までするという。工事現場からライブ現場までその用途は多岐にわたるだろう。なんとも気合いの入ったアイテムの一つだ。その気合いの入れようになんとプロモーションビデオまである。



また最近、女子プロレスラーの木村花氏が着用したことで一部ファンの間で必須アイテムともなっている。


(木村花氏コラボガスマスク)


続いて、こちらのハーネス。お気付きの方もいるのだろうか。パンクの女王とも称されるアパレルブランド「Vivienne Westwood」の名作パラシュートシャツのハーネス部分の模作なのだ。Vivienne Westwoodをはじめ、パンクファッションやサイバーファッションに影響というKensuke氏。



このハーネスの面白いところは、本来金具である部分がプラスチックであったり、生地がナイロン素材であったり、魔改造を施しているのにも関わらず見た目の形状はVivienne Westwoodのパラシュートシャツのハーネスを忠実に再現したという。

パラシュートシャツのハーネスを模作するブランドは他にもあるのだが、見た目は本家に似せないようにしていることが多い。その点、Broken Dollのハーネスはなんとも気持ちのいい亜流だと感じた。



最後にこちらのリング。Kensuke氏は「やる気スイッチ」と呼んでいた。取材時はオフになっていたので、そういうことなのだろう、、、。

改めて、ご紹介するがこれらを手掛けているのがこの方、Kensuke氏である。



初めてKensuke氏にお会いした2年前は、確かミントグリーン色の髪色だった。それまでは、ピンクであったり、青であったり、蛍光色、さらにはレインボーまでと、そのカラーパレットはあまり目に優しくない。


そんな過去と比べれば、著しく丸くなったらしい。本人曰く、別人になったという。そんなKensuke氏の会社員だった過去からキチガイじみた派手派手期までインタビューを通して、洗いざらい伺っていきたい。



インタビュー Broken Doll店主 Kensuke氏


「別人になりましたよ」


Kensuke氏が以前のご自身を省みて、こう言った時、私は当時のKensuke氏は相当ヤバかったんだなと改めて再認識した。なんせ当時のエピソードがあまりにも常軌を逸していたので、こうして落ち着いてインタビューできているのを幸いに感じたまでである。


さて、具体的に何が変わったのかというと、それはファッション。


「10年ぐらい前に東京でエレクトロ大ブームがあったんだよね」


Kensuke氏が尖ってた最盛期のエピソードは約10年前のナイトクラブから始まる。Daft PunkやJusticeのようなアーティストの音楽が最も客を踊らせてた当時、Kensuke氏を含む原宿界隈でもエレクトロブームは同様に席巻していた。金土日はTRUMP ROOMに行き、いつもと同じメンツと同じDJに会う。きっと原宿界隈ではそれが日常的であった中、そこへKensuke氏は非日常的な装いで颯爽と登場する。


「クラブに登場して、みんながやっぱ見るんだよね、大スターが来たみたいな、視線をやっぱ感じるの」


そんなKensuke氏は蛍光色の網タイツを履いていた。それもタイツの上から。この時点でセクシー極まりないのだが、その足元は8cmもある厚底靴を履き、膝丈まである派手派手しい柄のロングTシャツに身を包み、首元には首輪さながらに蛍光色のベルトを二重に巻き、更に蛍光色のチェーンをつけていたという。あと、髪はピンク色だ。


「それでクラブに行く前にクラブの近くのサイゼリアとかにいって、、、」


バキバキのメイクを施す。本人曰く、よくやってたのがデビットボウイ。そうデビットボウイのあの稲妻だ。しかしKensuke氏はそこに一手間加えて、キラキラパウダーで稲妻を縁取るという。私は控えめに言って、度肝を抜かれた。やはりこれがKensuke氏なのだ。THIS IS Kensuke。騒ぐパリピも黙るKensuke氏。


10年前とは言え、多少時代は違えど、私はこの逸話を聞きKensuke氏の酔狂さが容易に想像できた。しかし、何がKensuke氏をここまで駆り立てたのだろうか。


「『Party★Monster』でちょっと自分の中で振り切った感があるんだよね、振り切ったっというかいきすぎた感かな」


ご存知ない人も多いと思うが、『Party★Monster』とは一本のクソ映画である。そのクソ映画っぷりにKensuke氏は、「YouTubeに違法アップロードされても消されないレベル」とまで称する。しかしながらも一部ではカルト的な人気を誇っており、観る人を選ぶ映画なのだろう。主演はホーム・アローンで天才子役として一世を風靡したあのマコーレカルキンで、詳しくは語らないが、彼がどん底まで落ちぶれたきっかけともなった作品と言われている。


「それ観て、性別不詳なファッションを着始めちゃったんだよね」


『Party★Monster』の世界感を超端的に話すとドラァグクイーンみたいな世界だとKensuke氏は言う。ここまで言えばKensuke氏のファッションのいかなるものだったかお判りいただけるだろう。Kensuke氏自身、『Party★Monster』に出会うまで、充分に人目を引くファッションをされていたのだが、やはり出会ってから吹っ切れたという。

そんなKensuke氏はこのエピソードを総括してこう言った


「だからキチガイだよね」

「(当時は)それで満足してたんだよね」



「30歳まで普通にすごい真面目な社会人だったんだよね」


にわかに信じがたかったが、そのことについて詳しく伺った。どうやら、Kensuke氏は当時から車が大好きで、自動車の設計士をされていたらしい。どれほど車が好きだったかというと。


「車キチガイで、走り屋って知ってる?頭文字Dって知ってる?まさにあれだったんだよね」



「35歳ぐらいですよ、上京してきたの。35歳でやっと下北に降りた。脱サラした後に、全く別の脱サラ人生を送るために」


走り屋を経て、音楽、ファッションは少し遅めのスタートを切ったと知った。音楽もそれまではやっていたそうだったが、本格的に始めたのもそのタイミングだったという。それと同時に、Broken Doll(バンド、ファッション)も立ち上げ、車キチガイからシンプルキチガイになった。

では、話題を音楽とファッションに戻して、Broken Doll初期について伺ってみた。


「ふたつ持ったものにしようと、最初から決めてスタートしたの」


前述した通り、Broken Dollが指すのはバンドとファッション。Kensuke氏曰く、とりあえず名前をつけてから、バンドメンバーを探し、ブランドもそれから何を作るか考えたという。順番としてあべこべなのだが、それもまたBroken Dollらしい。


「ピストルズとヴィヴィアン、マルコムマクラーレンのあの関係ってわかります?」


端的にいうとこういうことなのか、分かる人には分かると思うが、SexがブランドのBroken Dollで、Sex PistolsがバンドのBroken Doll。そして、マルコム

もヴィヴィアンもピストルズの誰かもKensuke氏なのだ。



「あっ、インディージャパンミュージックだ」


ついでに言えば、ピストルズは結成当初は音楽レーベルなどには加入してなかったのだが、後々大手レーベルに所属することになる。しかし、Broken Dollはインディーズレーベルに所属している。それがインディージャパンミュージックである。所属アーティストは一組のみ、もちろん、Kensuke氏のレーベルだ。ガチのインディーズである。


そう言えば以前、インディーズバンドについて、並々ならぬ熱量で我々に語ってくれたことがあった。


「2000年前後ぐらいに、インディーバンド大ブームってのがあって、それまではでかい会社からリリースしないとスターになれなかったんだけど、、、」


まず、前提としてインディーズはクソ。というのがインディーズバンドブーム到来以前の大手レーベルのスタンスだったらしい。なぜなら、お金にならないから。大手はシビアである。しかし、とあるバンドの台頭により、音楽シーンに革命が起こった。Kensuke氏曰く、彼らがインディーズバンド大ブームを作ったと言っても過言ではないという。


「極論言っちゃうとハイスタがインディーズバンドブームを作った。」


90年代初頭に結成したインディーズバンド、Hi-STANDARDの功労はデカい。同時期の人気インディーズバンドにはELLEGARDENやMONGOL800などが名を連ね、メロコアやエモと言ったジャンルでライブハウスを沸かせた。


さて、特筆すべきは彼らのスタンス。一貫したインディーズ主義。大手からメジャーデビューするのがバンドマンにとって通過点だった当時に新しい風を吹き込んだ。


「もうハイスタに憧れて、バンドマン達はみんな右へ習えで、、、」


そんな彼らの影響力は凄まじかったとKensuke氏はいう。インディーズバンドブームがピークを迎えた頃には、みんながメロコアバンドになってしまったそうだ。それでもって、インディーズ。みんなの憧れの的だったハイスタが大手のスカウトを蹴ったのは、多くの共感と憧れを集めた。その結果、


「インディーズバンドブームが来て、レコードを買いたい人たちがメジャーレーベルじゃなくてインディーズレーベルから買いたいってなっちゃって」

「結果的にインディーズにいいものが集まっちゃったんだよね」


これがインディーズバンド大ブームの大まかな流れだ。ついでにKensuke氏からこんな小噺も伺った。


「それまでは(インディーズが)メジャーに媚を売ってたのが、今度はメジャーがインディーズとして売るために‘‘僕たちはインディーズレーベルです”って出てきたの(笑)」


笑い話にしては、苦笑いを禁じ得ないエピソードである。メジャーレーベル資本による、インディーズレーベルが登場した程に当時のブームは盛り上がってた。


達観して、このメジャーレーベルの在り方をも変えたこのムーブメントをKensuke氏はどう捉えるか。


「これを機に、バンドマンがメジャーを目指す必要がなくなった。分岐点。」

「インディーズが初めて世間に認知された」



「ほんとに世間が言葉を間違えて認識しちゃって、いまもそうだけど」


その言葉というのが‘‘インディーズバンド”

結局のところ、本当のインディーズバンドとは何か、それは大手レーベルの息が全くかかってない、自発的に自分たちの方向性を決めてやっているバンドなのではないだろうか。それに加えKensuke氏曰く、「DIY」は一つのキーワードのようだ。


「全部自分でやるのが好きで、曲作りもやって、レコーディングも自分でやってミックスダウンとかエンジニアさんがやるようなのも自分でやって、」


DIYとは日曜大工のことではない。Do It Yourselfのことだ。意味は自分たちでやってみようである。余談だが、一時期のヴィヴィアンのスローガンにもなっている。Broken Doll、もといKensuke氏はまさしくこれを実践している。曲作りやレコーディングも独学で学んだという。全ては。


「バンドもブランドもインディーズを貫きたかったから」



「工作が好きなんだよね、ものづくりが好きだから、たまたまハンドメイドがめんどくさいと思わないから作ってるけどね」


DIYの一環にアパレル商品も含まれる。しかしそれも元はと言えば、自分用に作っていたのが始まりらしい。特に、へんてこで目立つものを自分用に作っていたという。


「カラフルな80’ファッションが好きで、オーソドックスな古いロンドンパンクスタイルも大好きだったんで、好きなものをミックスしちゃえば自分にとっては大好きなものになっちゃうじゃん。だからそれを作ろうと思って」


約10年前、時代背景としては蛍光色がファッションとしてまだ浸透していなかった当時、Kensuke氏の関心を集めたのは、蛍光色。そのため、蛍光色のアイテムはもてはやされた。蛍光色の鋲ベルト、スニーカー、Tシャツ。これらはまだほとんどお店に並んでなかったので、Kensuke氏は自作した。


鋲ベルトは、革だけマスキングして蛍光の黄緑をスプレーしたり、スニーカーも同様に塗装した。そしていよいよ蛍光色が流行り出した時は、80’のTシャツに蛍光プリントを施すのが巷で流行ったそうだ。そんな中Kensuke氏はシルクスクリーンを作っていたという。


「蛍光パンクみたいな」


題して蛍光パンク。そんな蛍光パンクな商品も当時のBroken Dollに並んでいたそうだ。それに加え、ハンドメイド且つブランドとして蛍光色を取り入れたのはだいぶ早い方だった。ならばと思い、私は迂闊にも、蛍光パンクは売れゆきを尋ねてみた。


「キチガイしか買わなかったから、売れないよ笑。売れてくれば大企業とかが乗り出してくるんだけど」


余計なお世話だが、恐らくは先取りしすぎていたのだろう。実際に当時、Kensuke氏も蛍光色のアウターを着ていただけで変態扱いされたという。がしかし、そうこうしているうちに実際に大企業が乗り出してきた。


「だんだん世の中の蛍光ブーム浸透して来て、KERA系のブランドも蛍光色になって来て、ましてや、普通にさ、某靴屋さんにもあんじゃん?ああいうとことかにも蛍光の靴とか並び出しちゃって」


この時、Kensuke氏は一般人が普通に蛍光色のものを身につけているのを見て、自分が築き上げてきたものを汚染されたような悔しさを感じたという。世間が変態を受け入れた結果。


「このまま波に飲まれるのは嫌だと思って、もうそれ(蛍光色)を捨てたんすよ」



「他にもっと目を引くものを作ろうと思って、そしてパステル系を作ったのかな。夢かわいい、今でいう。」


蛍光パンクを捨て、次に着眼したのが「夢かわいい」。夢かわいいに関しても、まだ夢かわいいが一般に浸透する前から着手し、ハンドメイドで同系統のアクセサリーを作っている人を集め、委託販売までしていたと言うのだから、気合いの入った夢かわいいを提供していた。しかしそれも、


「夢かわブームがきて、のまれて、まじか、またなんかのまれたと思って、今に至る」


不憫ではあるものの、逆をいえば最先端でもあった。しかしKensuke氏的には最先端であることが気に入らなかったようだ。


「最先端になんなくていいんだけどねー、なんならネオンパンクも一切ブームが来なくて、俺がずっとやりたかったんだけどね、かっこいいスタイルとして」



「なかなか、波が来てそこから避けるって人がいないんだもんね、やっと来たって人の方が多いじゃん、長年やっててよかったですよってみんないうじゃん。それがやっぱ自分が変わり者だから違うのかなって思っちゃうんだよね、せっかく波が来たのにそこから避ける、やめよう、やめようって」


私は思った。Broken Dollは稼ぐ気がないのか。ブームに乗りたくないのか。よくよく話を聞いてみると、Kensuke氏の目指すものはより崇高で単純なものだった。


「唯一無二になりたいんだよね、ピンクの髪にしてたってさ、昔みたいに、昔みたいな衝撃は明らかにないから、普通にその辺一周りてくれば、派手髪は一人ぐらいはいるからね」


きっとKensuke氏にとって流行を追うのは簡単なことなのだろう。もはや流行を生み出すことも厭わないが、目指すところは唯一無二。世間に追いつかれるようでは、きっと満足しないのがBroken Dollなのだ。


髪をピンクに染めるのなんて、流行りものを有り難がる人のやることであって、見よKensuke氏の黒髪を、と本人は言っていないが、私は声を大にして言いたい。しかしKensuke氏は自身のことを損な性格と言った。


そしてKensuke氏に最後の質問をした。Broken Dollはサブカルチャーか否か。



「サブカルチャーだね、いい思いしたことないから」


そんなKensuke氏も実は過去には、メジャーデビューを志していたことがあったらしい。サブカルチャーの対極である。しかし、メジャーデビューにおいてKensuke氏には解せない部分があったという。


「関わってる人たちが嫌だった。まあ当然メジャーの方はサブカルなんてもう、ゴミ以下なんだよ。お金にならないから。嘘でもいいからお金儲けがしたいんだよね、それを聞けばそんなビジネスは嫌だぜみたいなさ感じになるじゃん」


今となっては死語になりつつある「サブカル」もまだ新鮮だったであろう当時。メジャーでないものにゴミ以下の烙印を押したメジャーレーベルに嫌だぜって言ったKensuke氏はかっこいい。


しかし、周りの人たちはそうでもなかったらしい。


「例えばバンドマンとかだったらさ、すごいわかりやすいけどさ、夢はメジャーデビューだぜつって、バンド始めるじゃん。メジャーになるために俺たちはもう死にものぐるいでライブをやるぜみたいな」


Kensuke氏と対照的だった健全なバンドマンたちに諭す。


「メジャーになるのが目標なのか音楽をやるのが目標なのか、あなたどっちですかみたいなさ。こんだけ苦労しているのもメジャーデビューがあるからだって、いやいや苦労するならやめろよって笑。好きでやるならいいけど。本当に難しいんだよね、彼らが言ってることが」

「でも世の中だとそういう風に言ったほうがわかりやすいからさ、なんかみんな応援しちゃうじゃん。なら、メジャーデビューするまで俺たちがついてるぜみたいな、いやいや、そこでまたビジネスが成り立っちゃってさ」


Kensuke氏のそのザ・サブカルな視点に深々と頷いてしまった。

Kensuke氏はこれら一連を総括してこう呼んだ。


「ビジネスサブカルチャー」



「某ショップとかでもサブカルコーナーって売ってるじゃん、取り上げてんだからそれ違うよもう、お前が取り上げた時点でこれポップカルチャーだよ。たった今ポップカルチャーになりましたってこっちが言ってあげないと」


おそらく、Kensuke氏の言うサブカルチャーとインディーズバンドは似ているかもしれない。まず、メインであってはいけないし、企業の息がかかってもいけない。強いては儲かるのもサブカルチャーにとっては美徳ではない。Kensuke氏ならではの視点ではあったが、Broken Dollはそれを満たしていた。それを聞き私は反射的に、Broken Dollはまさにサブカルチャーですねと言った。


「まあ人に言われるといい気持ちはしないけどね、自分で言うと気持ちいけどね」


最後に地雷を踏んでしまったので、読者の皆様はBroken Dollに伺った際には間違えても、サブカルですねと言わないよう心がけていただきたい。



http://brokendoll.jp

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